スタッフ紹介

院長 高村 久義(たかむら ひさよし)

院長 高村 久義(たかむら ひさよし)

出身地
愛知県豊田市上郷町
資格
セレベラムセラピー®代表、センターピーストレーナー
趣味・ハマっていること
少年漫画、クロスバイク自転車

アクティブで活発だった僕が椎間板ヘルニアになったのが全ての始まりでした

子供のころはやんちゃで、雨の日にコイが泳ぐ池の中で水遊びしていたり、浅い川で魚を編みで獲っていたりしていました。友達と秘密基地を作ったり、クワガタを探したり、とにかく外で遊ぶのが好きでしたね。

小学生の高学年頃になるとTVゲームのドラクエにハマり、親に怒られるまでずっとやっていました。ゲームをやめても、ドラクエごっこをして、パチンコや棒で武器を作って友達と町の中を探検していました。

中学生になると部活が楽しくなりました。テニス部に入って友達とペアになり、中学校内で一番手として試合に出て、試合ではなかなか勝てず2回戦くらいで負けていました(^_^;)

高校は工業高校で授業が楽しくて仕方なかったです。特に3年生ではサッカーロボットを作成しました。その時は設計図を作成しないで、すべて頭の中でロボットを完成させるという、神がかったことをしていました。作成と試合で楽しい3年生でした。

就職は名古屋市の会社に入りまして、栄まで約1時間30分かけて通勤していました。朝は眠くて新入社員研修では毎日眠気との戦いだったことを覚えています。

現場に配属されてからは、アットホームな職場で先輩と休日も遊んだり、仕事中も食事に行ったりしていました。この先輩に誘われて、レーシングカートに出会いました。青春時代の思い出です。

レーシングカートで毎週練習して、毎月レースに出る。その繰り返しを2年程しました。お金がかなりかかるので、経済的に辛かったですが、楽しくがんばったおかげで、中部地方選手権でも6位にはいるなど良い思い出でいっぱいです。

この後仕事が忙しくなり、北海道への2ヶ月出張をしました。ここでは、責任者となり、初めての重圧を体験しました。昼の仕事と夜の仕事があり、それぞれを業者さんにお願いしたのですが、トラブル続き。

一週間待ったく寝られない時がありました。毎日トラブル対応。
4日間の徹夜です。

さすがに厳しいので、次の週は名古屋から応援をお願いしました。応援が来たときにはトラブルが解消されていたので、かなり楽にはなりまして、ようやく楽しい出張生活ができました。2ヶ月で出張が終わりその後名古屋に戻ってきました。

そこからはゴルフやスキーで楽しい日々でしたが、なんと椎間板ヘルニアでコルセット生活になりました。病院では一生付き合っていくしかないね・・・。ときついお言葉をいただきました。

自分の中ではできる限り、楽にしたいと思い整体に通っていました。この時、整体を受けて先生に

「整体の仕事をするにはどうしたらいいですか?」

と聞いたのが整体師を目指した第一歩だったことを今でも覚えています。

工学・考古学好きでしたが、整体を実際に受けてやって「仕事にしたい!」と思ったんです。

工学・考古学好きでしたが、整体を実際に受けてやって「仕事にしたい!」と思ったんです。

小学生の頃から、考古学が大好きでした。よく恐竜のイベントや化石のイベントに行っていました。中学生になると、ロボットに興味があり、将来やってみたい仕事の一つになりました。

さらに中学生の頃は人体に興味を持ち始め、中学生で将来は考古学とロボットと人体の3つのどれかをやりたいと思っていました。現実にロボットが一番近く、家からも近い豊田工業高校に入学し、電子工学科を選択しました。就職では中部電力系の工事会社で株式会社シーテックに入りました。

ここで10年仕事していましたが、アトピーや腰痛から健康に興味を持ち始め、自分が整体を受けている時に「これを仕事にしたい!」と思いました。気付いたら、ロボットから、人体に興味が移っていて、今は人体に専念しています。

「どんな症状だったとしても、その人には治る力がある」という信念を持っています。

痛みやコリなど体調不良の原因は、体だけではないんですね。こころの場合もあるし、生活にあるときもある。当院が得意なのは、体の不調の原因のさらに奥の原因を見つけること。それが、こころからもしれませんし、生活かもしれません。そして、頭が原因ということもあるかもしれません。

こころや体や脳や生活など様々な所から総合的にみたいならば、一度来てみてくださいね!

桐山 雄司(きりやま ゆうじ)

桐山 雄司(きりやま ゆうじ)

出身地
セレベラムセラピー コンディショニングインストラクター
資格
岐阜県山県市
趣味・ハマっていること
ワンピース(マンガ) / スプラトゥーン2 / BBQ / スポーツ / 数独 / プラバン

「陸上競技部」との出会いと恩師に恵まれ、逆境の中でも行動することを大事にしました

子供のころから友達を外で遊ぶのが好きでした。「かけっこ」が得意で、保育園の運動会では一人1週のところを、走り足らず2周走ってました。小学校2年生から、兄の影響で少年野球を始めました。

この頃は父親がよくキャッチボールの相手をしてくれてました。言葉数少ない父でしたが、いいボールを投げると嬉しそうな顔をしてボールを投げ返してしてくれるのがとても嬉しかった。

高学年からはピッチャーをまかされ、プレッシャーもありましたが、とても楽しかったです。

小学生になってからも走るのは得意で、野球では盗塁しまくってましたし、学校のマラソン大会では常に1位2位争いをしていました。このころの夢は、漠然と「何かのプロスポーツ選手になりたい」と思ってました。

中学生になると、部活がたくさんあり、スポーツが好きだった私は、どの部活も魅力的にみえました。ここで私の人生の中心となっていく部活で巡り会うことに・・・それが、走ることを専門とする「陸上競技部」です。

しかし、小学校から続けてきた野球が自分を生かせる場所だとおもい、野球部に入部しました。中学2年生の時に、初めて背番号をもらいベンチいりすることができたのですが、選ばれた理由が・・・・「代走要員」だったのです。

この時気づきました!「あっ、おれ、野球じゃねぇ」と(笑)

野球部の監督に退部を願いでましたが、「一度選んだ部活は最後まで続けろ」と却下されてしまいました。そこで手を差し伸べてくれたのが、陸上部の先生です。

なんと野球部の練習が終わった後に、陸上競技(短距離)の練習をつけてくれたのです。また、陸上と一緒に試合にも出場させてくれて、陸上競技の楽しさを教えてくれました。

これがきっかけとなり、どっぷり陸上競技はまることになります。陸上部の先生には本当に感謝しかないです。高校生では、迷わず陸上部へ入部し、陸上づけの毎日をおくっていました。

ウェイトトレーニングにはまり、夢中で体を鍛えていました。正月休みもウェイトがしたいと先生にお願いし、特別にカギをあけてもらうわがままも聞いていただいたりしました。

その甲斐あって、高校3年のインターハイ、種目200mで全国3位を獲得することができました。さらに陸上の力をつけるべく、京都の大学に進学しました。親元を離れ、寮生活へと生活が始まったのですが、あっという間にホームシックになったことを覚えています(笑)

順調に競技生活を送っていたのですが、3年生の時に、陸上人生で初めて、「スランプ」になりました。何をやってもうまくいかない、速く走れない。

同期や後輩は記録を伸ばしているのに、自分は低迷。挫折しそうな毎日に、悩み苦しんでいました。そんな状況を打破しようと、とにかく行動しました。

高校の恩師に会いにいって練習を見直したり、時には他の大学の監督に直談判し、指導を受けに行ったこともありました。もがき苦しみながらも一歩ずつ前進し、4年生では100mの自己ベスト記録を更新、全日本インターカレッジで100m第6位を取得することができました。

また、高校3年生~大学4年生の5年連続で国体にも出場できました。

仕事をしながら陸上を続けることの厳しさを痛感した社会人時代

就職は豊田市の企業に入社し、陸上を続ける選択をしました。陸上部といっても通常の仕事を一日こなしてからの練習のため、毎日22時すぎまで練習していました。

学生時代との環境の違い、社会人としての仕事のプレッシャー、今まで経験したことのない重圧を感じ、実業団で競技をする厳しさを痛感しました。試合に向けて猛練習する最中、半年間の出張を明示られ、その年は試合に出られないとうこともありました。

それでも27歳まで陸上競技を続けることができたのは、やはり「陸上が好き」ということだと思います。スポーツ漬けの人生を送ってきましたが、そのスポーツが自分の心も体も大きく育ててくれましたし、スポーツを通して様々な経験をさせてくれました。

そして、多くの仲間にそれに今も支えていただいてます。僕の宝です!本当に感謝しかいないです。

発症した「ぎっくり腰」が整体の道を開くことに

発症した「ぎっくり腰」が整体の道を開くことに

陸上競技を始めて1年が過ぎようとしていたある日、「くしゃみ」によるぎっくり腰を発症。母に支えられて整形外科で診察を受けると 「陸上をやめないと治らないよ」と宣告されました。

このことがきっかけ整体を受けるようになり、やめないと治らないと言われた痛みが緩和しました。また体を整えることで定規力が向上し、陸上の成績も上がりました。

痛みがなくなると、前向きで笑顔になれる。また、スポーツをする上で体を整えることの重要性を、身を追って体感した私は、自分もお世話になってきた先生たちのように、「人生を輝かせる手助けができるようになりたい」と思い、この仕事を志しました。

自分を信じましょう!みんな「自然治癒力」を持っているんです!

当院は、ただ単に痛みを見るのではなく、痛みの根本的原因を見つけていきます。様々な角度から原因を分析し、その上で施術の方針や原因の考え方について、しっかり説明しています。

施術方法も体にやさしいので、安心して受けていただけます。 原因がいまいち分からいけど、不調を抱えている方、人生を笑顔で過ごしたいと思われている方は、ぜひ一度当院へいらしてください。

高村 涼子(たかむら りょうこ)

高村 涼子(たかむら りょうこ)

出身地
愛知県安城市
資格
保育士
趣味・ハマっていること
バレーボール、ヨガ

人と関わる仕事がしたいため、保育士の道に入りました

安城の田舎町で育ちました。道を歩けば、地域の人が名前を呼んでくれたり、見守ってくれる中、友達の家や公園で暗くなるまで遊んでました。保育園は人数も少なくて3年間同じ担任の先生が優しくしてくるれたのを覚えています。

小学生の頃は小学校の先生になるのが夢でした。1年から6年まで女の先生だったのですが特に6年生の時の担任の先生が可愛くて優しくて…ピアノが上手で。憧れていたのだと思います。

中学では、バレーボール部に入り思い出では部活!となるくらい打ち込んでいました。厳しい顧問でしたが市内で一番強いチームになることができました。今はママさんソフトバレーで体を動かすことを楽しんでいます。

高校3年の時今後の進路を担任と話していたとき、事務ではなく人と関わる仕事がしたいと話すと、保育士になる短大を進められました。その時、小さい時の夢が先生だった、と思い出し保育士の道へ進むことにしました。12年保育士として長男出産のギリギリまで働きましたが、出産を期に退職しました。

最後の2年程は主任という立場で保育だけでなく、保育士の指導、行事など園全体を見ていく立場もさせてもらいました。

自分の事を二の次にしないで、自分の事を大切にしてくださいね。

自分の事を二の次にしないで、自分の事を大切にしてくださいね。

私も母となり、悩みや不安になることは子供のこと。自分のことは二の次になりがちです。でも、自分のことを大切にしたり、自分のことを好きになることがとても大事です。

自分や家族や周りの人が笑顔に。まずは自分のために。紡ぐへ一度お越しください。

営業案内

住所
〒471-0025
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交通
名鉄・豊田市駅徒歩5分
TEL
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